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時代の流れとともに親・子供・社会は、大きく変わりました。
かつて、「万引き」で補導された息子の顔を見るなり、平手打ちをした母親がおりました。母親からは、「真剣な目差し」が感じられました。今は、そんな母親が、少なくなりました。私が、街頭補導中、プチ家出中の少女を発見し、家族に連絡すると「昨日、娘と連絡がとれました。」とあっさり電話を切られてしまいました。母親は娘の声を聞いて安心したのでしょう。しかし、プチ家出の裏に隠されている我が子の行動について考えたことがあるのでしょうか。それとも娘の「裏の姿」を知るのが恐いのでしょうか。携帯電話の普及により確かに便利になりましたが、大人も子どもたちも利便性の中の「落し穴」にすっかりはまってしまった世の中になってしまいました。
かつて、警察で補導された少年は、字も書け、将来の希望について、熱く語り合うことができました。今でも連絡をよこす「元少年」もおります。大変うれしい限りです。しかし、今、字が書けない、親の年令も言えない、高校生でありながら両親の勤め先も言えない、「ないないづくしの少年」が目立ちます。
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しかも、学力の低下を痛感しています。その上、将来の夢をもっていません。夢を語れない「世の中」なのでしょうか。
新聞に目を通せば、「自殺・いじめ・児童虐待・バラバラ殺人事件・臓器移植に対する倫理感の問題」など日本社会の根幹を揺るがす事件が後を絶ちません。一体、日本は、どうしたのでしょうか。日本人全体が病んでいるのではないでしょうか。嘘がまかり通っている世の中、正直者がバカをみる時代なのでしょうか。大人社会が変わってきているのですから、変わった大人に育てられた子どもたちも変わるのも当然です。世の人々もはき違えた「個人主義」に徹し、違った意味の個性が尊重されるようになりました。街を歩くとおしゃれで、ファッション雑誌のグラビアに出てくるような若い親子に出合います。しかし、その姿からは、子育てに苦労しているお父さん、お母さんの「臭い」は、感じ取れません。私には、「砂のような家族」にしか映りません。私の思い違いでしょうか。
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